日本プロ野球での選手兼任監督は、2006年から07年の2シーズン指揮を取ったヤクルト・古田敦也捕手兼監督が最後になりました。
古田監督は2リーグ制になってから11人目の選手兼任監督で、1977年まで南海の指揮を採った野村克也(捕手)監督以来、29年ぶりの二役でしたが、成績は上がりませんでした。
そもそも監督という役職は選手の兼任で始まりました。
野球が誕生した18世紀後半、野球知識が豊富なベテラン選手が監督を務めたのです。
しかし、現在のすべての面で高度に専門化された野球では、監督にはチーム統率や試合での作戦、指揮はもちろん、メディアとの対応などを含めて様々な手腕が要求されます。
多方面に広がった仕事を助けるためにコーチの数を増やし、さらにスコアラーや情報処理係なども加えているのですから、
時計を戻すような“先祖がえり”の選手兼任監督は、無理だったと見ていいでしょう。
大リーグの選手兼任監督は、1984年のレッズ、ピート・ローズ一塁手兼監督が最後でした。
日米共に、もう選手兼任監督は誕生しないかもしれません。